こんにちは。
広島コーヒー.comを運営しています、名井珈琲商店です。
薄田太郎氏の著書、「がんす横丁」。
原子爆弾でカイメツ前の広島市内の、盛り場、映画館、芝居小屋、うまいお店、裏小路の様子などがかれた本です。
新天地界隈
盛り場の小屋
サーカスそう話
活動写真
素劇団のあゆみ
町角にあった風景
などなど。
表紙絵は、洋画家・福井芳郎氏の「国泰寺クスノキ」。
戦前、白神社(広島市中区中町)の場所に、
浅野の殿様の先祖代々のお墓がある、国泰寺というお寺がありました。
国泰寺の境内には、それはそれは大きなクスノキがあり、
大きな枝が空を覆っていたため昼間も暗く、
お化けがでる!という噂が立つほど。
この大木に人々は敬意を表し、チンチン電車の線路建設の際は、クスノキが根を犠牲にすることがないように、大回りしてつくられた。
さて、「がんす横丁」に、名井珈琲商店の前身「名井屋喫茶店」も、
“うまいもの店” として登場します。
現代ばやりの喫茶店となると、東部地方で最初の店というより、
ヒロシマの草分けとなった喫茶店らしいものの出現は、
やはり新天地開場間もなく、流川筋に開店された名井屋である。
主人がアメリカ帰りであるだけに、すべての設備がいわゆるアメリカン・スタイルで、
店のうちに飾られた洋画は、この店の若主人(名井萬亀)がフランスから持ち帰ったばかりの作品を並べて、
ヒロシマ美術界への一投石を試みた結果になった。
この店は、冬のさ中でもアイスクリームがあるというのが評判で、
のちに徳永氏が東新天地入り口に名井屋支店を出し、
さらにのち昭和15年ごろには、金座街に階下喫茶、階上食堂の名井屋本店が現れた。
名井屋喫茶店の包装紙 (疎開先にあったので焼けずに残った。)
「名井屋」については、写真は全く残っていないので、
この本「がんす横丁」にかかれた情報で、ありし日のお店の様子を想像するしか、方法はありません。
著者の薄田太郎氏に、感謝の意を表します。