こんにちは。
広島コーヒー.comを運営しています、名井珈琲商店です。
昨晩は「しあわせの雨傘」というお芝居を観に行きました。
フランスの有名な通俗喜劇の翻訳だそうです。
私は音楽は大好きなのですが、本を読むのは得意ではなく、
音とビジュアルのダンスやミュージカルは、すっと頭にはいってきますが、
セリフの多いお芝居は、なかなかの集中力が必要なので、
お芝居を鑑賞する時は、たいてい事前にストーリー等の下調べをして劇場へ向かいます。
置いてけぼりを食らいたくないですし。
「しあわせの雨傘」は、セリフのやり取りがいっぱいのお芝居で、
登場人物達は、常に早口で会話を交わしていました。
はじめのうちは、聞き逃してストーリーから置いてけぼりを食らわないように、
随分と集中して聞いていましたが、
そのうち頭が疲れてきたのか、セリフが音のように感じられ、
セリフのテンポ、リズム、間が、イメージとして視覚的に感じられるようになり、
効果音の呼び鈴、電話の音、犬の鳴き声などが沢山あるシーンでは、
脚本が「さあ、このシーンをどう調理する?」と、演出家や役者に挑戦しているのでは、
などと想像してみたり。
沢山の長いセリフを役者さん達が掛け合い、つくられたリズムが、
シーン全体の雰囲気、環境を創り出し、
そのリズムをいろいろ意図的に変えてみることで、
多様な表現の仕方が可能であるだろうと、想像してみたり。
そのうち、毎年夏にニューヨークのセントラルパークで開催される、
シェイクスピア・イン・ザ・パークのことを思い出し、
ぜったいに私には理解できないだろうシェイクスピアの英語のセリフを、
なんとかリズムや音楽を聴いているように、楽しむことは可能か?と考えながら、
毎年夏に観に行っていたことを思い出しました。
いろんなシェイクスピアを観劇したけど、難しい英語のセリフは最後まで理解できず、
リズムさえも楽しめなかったけれど、
昨晩のフレンチコメディーの日本語台詞を客席で聞きながら、
自分の中で、何かが腑に落ちました。
今頃。